東京海洋大学 教授

矢澤良輔

私たちの宝である海を未来へつなぐため、さまざまなゲストをお招きして、海の魅力、海の可能性、海の問題についてお話を伺っていく「Know The Sea」。Podcastなどを介してお届けしているこのコンテンツは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環です。

今回は、日本の水産業界に歴史的な変革をもたらす可能性を秘めた新技術「代理親魚技法」について、東京海洋大学教授の矢澤良輔さんに深掘りしてお話を伺いました。古来より日本人の食文化を支えてきた海の恵み、その未来を左右するこの壮大な技術は、養殖の概念を一新し、地球規模の資源保全へとつながる道筋を示しています。矢澤先生の研究から見えてくる、驚くべき生命科学の最前線をご紹介します。

「トンビが鷹を産む」を科学で実現する挑戦

矢澤先生が研究を続ける「代理親魚技法」とは、代わりを意味する「代理」の親となる魚の体内で、別の種類の魚の稚魚を生産する、まさに生命の錬金術とも言える技術です。

この技術を最も端的に表現するならば、「サバにクロマグロを産ませる」という、一見すると夢物語のような挑戦に集約されます。

目指すのは、高級魚であるクロマグロの稚魚の生産です。研究では、クロマグロの生殖腺の中に存在する、将来的に精子や卵へと分化する能力を持つ「生殖幹細胞」に着目しました。そして、この重要な細胞を、クロマグロよりもずっと小さく、飼育しやすいサバのような魚の体内に移植してあげるのです。

この小さなサバは、マグロの「お腹を借りた」に過ぎません。その結果、生まれてくる稚魚は、遺伝子的には代理親のサバの影響をうけない、完全にクロマグロのものを持ちます。矢澤先生は、「サバの味や身質になることは一切なく、私たちが普段食べているクロマグロと全く同じ魚が育ちます」と、その技術の確かさを力強く語ります。

実際、サケ科魚類においては、すでにこの技術が応用され、「マスがサケを産む」「ニジマスにキングサーモンを産ませる」といった成功を収めています。また、我々の食卓に馴染み深い海の魚では、小型のクサフグに高級魚のトラフグを産ませるという、驚くべき技術がすでに完成しています。近縁種から始まったこの研究は、今、遺伝的に遠いサバとマグロの壁をどう乗り越えるかという、壮大なフェーズへと突入しています。

日本の漁業に三つの革命をもたらす可能性

この代理親魚技法が本格的に実用化された場合、日本の水産業に期待されるメリットは計り知れません。その影響は、単なる養殖の効率化を超え、資源の持続可能性という根幹に触れるものです。

1. 養殖生産の劇的なコストダウン

クロマグロのような巨大な魚を親魚として飼育し、採卵するためには、莫大なコストがかかります。広い生簀が必要であり、大量の餌も欠かせません。この親魚を維持するコストが、養殖業全体の重荷となっているのが現状です。

しかし、この技術を用いれば、親から子供を作るという最もコストのかかる過程を、小型のサバで代替できます。親魚の飼育にかかる時間、空間、餌のコストを劇的に削減できるのです。クサフグにトラフグを産ませる成功例は、すでにこのコストダウンの未来を明確に示しています。

2. 品種改良(育種)の加速と「家魚化」

私たちが食べている魚の多くは、未だに天然の魚をそのまま利用している状態ですが、牛の「神戸牛」のように、魚においても人間にとって最適な形へと品種改良(育種)を進める「家魚化」が必要です。

育種を効率的に進めるには、世代交代にかかる時間を短くすることが極めて重要です。クロマグロやトラフグのように3年もかかる世代交代の時間を短縮できれば、より早く、より質の高い品種を開発することが可能となります。この技術は、味や成長速度に優れた「エリート魚」の系統を確立し、維持していくための確固たる基盤となるのです。

3. 絶滅危機に瀕した「命」の保全

また、養殖への応用以外にも、この技術は絶滅危惧種の保全に大きく貢献することができます。代理親魚技法の鍵となる生殖幹細胞は、超低温環境で、半永久的に保存しておくことが可能です。 これにより、たとえある魚種が環境の変化によって海や河川などから姿を消してしまったとしても、その生殖細胞さえ保存しておけば、近縁種の代理親を用いてその種を復活させることが可能となります。矢澤先生は、「もちろん、環境そのものを良くしていくことも重要だが、この技術によって、少なくとも生殖幹細胞を保存しておけば、これから絶滅する魚をなくすことができると考えている」と、強い決意を語ります。それは、豊かな海、川、そして水圏全体の生命を守り抜くという、研究者としての使命感に裏打ちされた言葉です。

海と学生に囲まれた研究の日々

矢澤先生の研究は、千葉県の館山にある東京海洋大学の臨海実習所、「館山ステーション」で進められています。この施設は、海産魚の飼育・実験に特化しており、その設備は世界でも類を見ないものです。

研究室に所属する学生たちは、この恵まれた環境に常駐し、泊まり込みで魚の世話をしながら、最先端の研究プロジェクトに携わっています。豊かな自然の中で、彼らは研究で必要な魚を海に出てサンプリングしたり、自主的に釣りに興じたりと、海と戯れる日々を送っています。

「研究に使わなかった美味しい魚は学生たちでシェアして食べる。それもまた、研究への大きなモチベーションになっています」と矢澤先生は微笑みます。

矢澤先生自身も、幼い頃から海に親しみ、その広大さに畏敬の念を抱いてきた一人です。

「海の中には、私たち人類がまだ知らない生物学的な謎が山ほど残っています。そうした発見の日々が、次の研究への大きなアイデアとなります。海は、常にインスピレーションを与えてくれる、非常にありがたい存在です」

海の温暖化など、次々と問題が顕在化する現代において、この代理親魚技法という新しい技術は、環境の変化に耐えうる魚を生み出し、資源を守り抜くための、希望の光となりつつあります。研究者として、そして教育者として、矢澤先生は次世代にこの技術と、尽きることのない海の魅力を伝え続けています。

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