アダプティブサーフィン日本代表

小林征郁

2024年6月からスタートした音声コンテンツ「Know The Sea」。私たちの宝である海を未来へつなぐため、さまざまなゲストをお招きして、海の魅力、海の可能性、海の問題についてお話を伺い、interfm番組内やPodcastなどを介してお届けしていきます。このコンテンツは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環です。

今回のゲストは、アダプティブサーファーの小林征郁(こばやし まさふみ)さん。6月19日(水)に放送されたInterfmの番組「Find Your Music!」内で、次期パラリンピックの競技として注目を集めている「アダプティブサーフィン」についてお話を伺いました。

アダプティブサーフィンってどんな競技?

波に乗る「サーフィン」はよく知られていますが、アダプティブサーフィンとは一体どんなスポーツなのでしょうか。世界で活躍するプロのアダプティブサーファーである小林さんが教えて下さいました。

「アダプティブを英語で直訳すると、『適応性』や『適用可能』という意味で訳されますが、アダプティブサーフィンは、各々の障害の状態によってライディングなどを工夫して行うサーフィンのことです。例えば、正座で乗ったりとか、うつぶせで乗ったりとか。また、視覚障害のクラスなどもあります」

20歳の時に運命を変える事故・・・

18歳の時にサーフィンにドハマりして、毎週のように海に通っていたという小林さん。ところが、20歳の時に大好きなサーフィンの帰り道で大事故に遭ってしまったとおっしゃいます。

「台風シーズンにサーフィンへ行ったその帰り道、大雨の中の高速道路で事故に遭いました。ハイドロプレーニング現象というタイヤと路面の間に水が入ってブレーキがきかない状態になってしまって。その結果、車が横転して私は外に投げ出され、脊髄を損傷してしまいました」。

そんな大事故に遭った後、家族や仲間に支えられ、前向きにリハビリをした結果、車椅子で生活できるまでに回復しました。そして、再びサーフィンへの道へと戻ってきたキッカケは、アメリカで出会ったとあるボードだったとおっしゃいます。

「先輩にサンディエゴに行こうと誘われたんですよね。その行った先で『ニーボード』に出会ったんです。これは、基本ボードの上に正座して乗るサーフィンのスタイル」。

再び戻ってきた海。その時の感想を伺ってみると、

「やっぱり海は最高だな!っていう。こう全身で感じましたね!一方で、今までやっていたサーフィンとは全く違ったので、最初は怖さもありました。ただ、その反面、やっぱりすごく気持ちいい!凄く嬉しい!(戻ってこれたのは)本当に仲間の支えがあってこそだったので仲間に感謝ですね」

日本代表として大活躍している小林さんの目標は?

二―ボード、アダプティブサーフィンを始めた当時、日本でその競技の知名度はまだあまりなかったそう。そこから見よう見まねで色々と試行錯誤を重ねた結果、今では日本代表としても活躍するほどに!そんなアダプティブサーファーの第一人者でもある小林さんに、今後の目標について伺いました。

「アダプティブサーフィンは、次のロサンゼルス、もしくは2032年のオーストラリアのパラリンピックの正式種目として注目を浴びている競技ですので、目標のひとつは日本代表としてパラリンピックに出場すること。あとは、アダプティブサーフィンをたくさんの方に知っていただきたいということを第一に活動しているので、障害を持った大人や子どもたちの選択肢のひとつになれば」

陸にいるより「海に入っている方が自由!」

最後に、「小林さんにとって海はどんな存在ですか?」とお聞きしてみると、

「本当にもうパワースポットですね!入るだけでもパワーチャージできるし、リセット、リフレッシュできるので。全身運動なので本当にいいリハビリでももちろんあります。だからこそ、いろんな方に海に入ってもらいたいですね。自分は車椅子なので陸でいるよりも、海に入ってる方が自由!そこがすごくいい!!」

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