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放送後記

#19 サンライズ産業株式会社

#19 サンライズ産業株式会社

2024.2.10~OA

青森県

第19回「電話帳から一歩ずつ」サンライズ産業株式会社に聞いてみた!

ゲスト:サンライズ産業株式会社 代表取締役 工藤博文さん

『となりのカイシャに聞いてみた supported by オリックスグループ』。
この番組は、地域が主役の企業応援ビジネスバラエティ。
オリックスグループの提供でお届けします。
パーソナリティは、フリーアナウンサーの小堺翔太さん。
場所ごとに地元のアシスタントとともに、ゲストのお話を伺っていきます。

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今週はFM青森より、アシスタントの鈴木耕治さんとともにお送りします。
ゲストはサンライズ産業株式会社の代表取締役、工藤博文さんです。

サンライズ産業株式会社は、青森県でトップクラスの運送会社。物流事業を中心として、関連事業も幅広く手掛けています。

東北の物流を支えるサンライズ産業

代表取締役を務める工藤さんに、まずはサンライズ産業の事業について伺いました。

小堺さん「サンライズ産業はどのようなことをされているんでしょうか。」

工藤さん「運送業を中心として、不動産賃貸業、ガソリンスタンド、レンタカー、中古車買い取りなど事業は多岐にわたります。運送業においては、サードパーティー・ロジスティクス(略して3PL)の形を取り、保管から管理・運送までを一貫して担っています。多種多様なものを運んでいますが、現在は食料品が増えています。お米はもちろんですが、需要が高まっている肉製品も保管から運送まで行っています。」

家具や食料品など、名だたる大企業の様々な商品を運送するサンライズ産業。その強みとは?

小堺さん「食料品などは運ぶ際に配慮が必要だと思いますが、運送の仕方にはどんな工夫があるんですか?」

工藤さん「肉などは冷凍物・冷蔵物どちらにも対応した倉庫や運送技術を持っています。中にはー40℃で冷凍保存する倉庫もあります。元々私は公務員だったため物流に関するノウハウはもっていなかったのですが、お客様からのご要望に応えるために設備や車両の整備を進め、今では多くの依頼を頂けるようになりました。」

公務員から運送業へ、異色の転向のきっかけは”電話帳”⁉

小堺さん「ホームページを拝見したところ、運送業を始めたきっかけは電話帳だったそうですね。」

工藤さん「大学入学時に、父がプレゼントしてくれた車のガソリン代を稼ぐために始めたアルバイトが”電話帳の配達”でした。」

小堺さん「アルバイトから始まった”電話帳の配達”がどのようにご自身の仕事に繋がっていくんでしょうか。」

ガソリンを稼ぐために始めた電話帳配達。なんと、アルバイトの委託主側で大きな配達ミスがあり、配達のアルバイトはなくなったそうです。
…少しした後、その当時に電話帳配達業務以外でも頻繁に出入りして雑務のアルバイトを行っていたNTT(当時の日本電信電話公社)から『勝手をよく知っているお前にしか頼めない』と電話帳配達をアルバイトとしてではなく、直接依頼されたんだとか。
この電話帳配達の受託をきっかけに、工藤さんのお父様が軽貨物自動車運送事業を開始していったそうです。

その時の苦労を工藤さんはこのように語っています。
工藤さん「9万冊というとてつもない部数の依頼に途方に暮れ、まずは父に相談しました。失敗するのではないかと心配していた私に父は、『9万冊と言っても1冊から始めればいつかは終わる。やって失敗しても、改善していけばいい。せっかく頼まれたのだから、失敗しても、後で振り返った時にはやってよかったと思えるはずだ。』と言いました。そこで依頼を引き受けることを決め、無我夢中で取り組みました。」

「名山名士を出だす(いだす)」人生の教訓は岩木山から

工藤博文さんのおすすめスポットは青森県弘前市に位置する岩木山。工藤さんは、岩木山に特別な思いがあるそうです。

工藤さん「通っていた弘前高校の小田桐校長がいつも生徒たちに伝えていたのが『名山名士を出だす』という言葉です。これは、いい山があるとことにいい人が育つという意味なのですが、校長先生は、『岩木山が高く見えるのは周りに高い山が無いからだ。弘前高校という名門の肩書で威張るのではなく持って生まれたものを深く探って強く引き出す人になれ。それが世の中にとって助けになるのだから。』と言っていました。岩木山を見るたびにその言葉を思い出します。」

東北地方の方にとって象徴的な存在である岩木山が人生の教訓も与えてくれたんですね。
みなさんも、青森に行く時はぜひ岩木山に寄ってみてください!

人が人を呼び、歩んできた物流の道

小堺さん「工藤さんが運送業を始めるきっかけを作ったお父様はどんな方だったんでしょうか?」

工藤さん「父は農家の出身で物流には縁がありませんでした。年に2回、農閑期に配達をしていたため両立できていたのでしょう。」

鈴木さん「学校を卒業されて、最初は市役所に就職されたんですね。」

工藤さん「はい、弘前市役所に勤めていました。しかし私が47歳の時に、代表取締役であった父が亡くなり、サンライズ産業と市役所どちらを取るのかとても迷いました。社員に相談すると『自分たちは運送業で生活しているのだから会社は続けて欲しい』という声が多く上がりまして。苦渋の末、市役所を辞めるという決断をしました。」

少人数で始まったサンライズ産業ですが、今では東北随一の運送会社となっています。

鈴木さん「M&Aを経て、現在ではグループ全体で1,000人以上の社員を抱えています。人が人を呼び、仕事が仕事を呼ぶ、と言うように人も事業も拡大し、気づいたらこのような大きな会社になっていました。」

人を思い、行動する工藤さんの人生の教訓を学んだ第19回でした。

次回も引き続き、サンライズ産業株式会社の代表取締役、工藤博文さんをお迎えしてお届けします。ぜひお聴きください!

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#19 サンライズ産業株式会社

ゲスト:サンライズ産業株式会社
代表取締役 工藤博文さん
https://www.sunrisesangyo.com/