ゲストは先週に引き続き、俳優の浅野ゆう子さん。
https://www.instagram.com/yukoasano_official/

浅野さんは、兵庫県神戸市のご出身。
お母様が四国出身だったため、幼少期から港があることや
六甲山があることは知っていたものの、”神戸=オシャレな街”というのは、
東京で暮らすようになってから知ったのだとか。
中学一年生の夏休みに単身で上京。
事務所の寮で暮らしながら、芸能界デビューされました。
「自立、という言い方は立派になってしまいますが、
もう楽しみで楽しみで仕方なかった、というのが本音ですね。
デビューをさせて頂いて、すぐ大スターになれるのかと思っていたら
現実は厳しいんだ、というのを実感しました(笑)」
30年前の1995年1月17日。阪神淡路大震災が起こりました。
浅野さんの大事な故郷である、兵庫県神戸市も大きな被害を受けました。
「当時、成人式が1月15日で祝日だったので、母が東京に来ていたんです。
16日に神戸に戻ったんです。その日の夜寝て、明け方に…という形でした。
1月17日朝8時くらいに家の電話がなって、『私は大丈夫だから安心して』と母から。
何のこと?って聞いたら『神戸が大変なことになってる、また電話するから』って。
急いでテレビをつけたけど、まだ当時はそこまで情報が早く入ってこなくて
テロップで”地震がありました。情報は追ってお伝えします”だけで…
昼くらいまで映像もなくて。不安だったんですけど、
母の『大丈夫だから』という言葉を信じるしかなかったですよね。」
ご実家はなんとか倒壊はせず。ライフラインが止まっていたとのこと。
さらに、当時は携帯も無く、公衆電話には長蛇の列ができていたそう。
「母は公衆電話に泣きながら並んでいたら、
前にいた大学生くらいのお兄さんが、”お先にどうぞ”って譲ってくださったって。
そういう時の優しさって凄いなぁって。
母は店を経営していましたが、お店は倒壊しました。
大阪にいる知り合いのテレビ局の方に、
母を迎えにいきたいから状況や交通手段を教えてほしいと連絡をしたら、
その後、その方と1日ほど連絡取れなくなって…次連絡取れた時には、
すでに神戸に向かってくださって、母をピックアップして!
新幹線が動いている静岡まで連れてきてくださってたんです。
こんな有難いことはないなぁと驚きました。」
浅野さんは、「ひょうご観光大使」として復興に尽力をされてきました。
まずは復興のために、神戸に足を運んで見てほしいという思いから
メディアで多くの広報活動をされてきました。
「当時、神戸の100万ドルと言われる夜景が無くなってしまったのかな、
と寂しくもありました。それからほとんど毎年、
山の上から神戸の夜景を見るようにしていますが
今では素晴らしい美しい夜景が戻ってきています。
復興する力はすごいなぁ、と改めて感じますし、
皆さんからの励ましのお言葉や、足を運んでくださった方のご感想で
どんどん復興の力を貰って、皆が頑張ってきている姿も素敵です。
30年経って、古き良きものを残した新しい街として頑張る神戸。
新しい魅力を教えてくれます。ただ、心の傷は癒える事はないし、
とても大変な思いをされている方もまだまだいらっしゃいます。
それでも、着実に30年間前に進んできたきたことは、今感じています。」
神戸は、食や夜景、など魅力がたくさん!
神戸元町にある老舗神戸牛専門店、森谷商店の”揚げたてコロッケ”や、
これからの時期にオススメ!幻といわれる ”二郎いちご”など
美味しい物が欠かせない、とのこと。
そして最後に、浅野さんの元気の源について伺いました。
「もう、”食”です!(笑)食べるのが1番です!
美味しい物を頂いていると、なんて幸せなんだろうって、
心も身体も温かくなります。また明日も頑張ろう、という元気ももらえます。
リスナーの皆さんも、なんか食欲ないと思ったら、頑張って食べるようにして頂いて。
寒いから!たくさん食べて、風邪ひかないように!」
デビュー50周年を迎えられた浅野さん。
ライブ開催が決定しています。
【YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW 『KANSYA』】
日時:2025年1月26日 開場 16:00開演 17:00
会 場:I’M A SHOW(アイマショウ)
▼詳細はこちら
https://www.eaupure.co.jp/post/
「もう残すところ、1回。
最後です!これで歌は封印、と考えておりますので、
ぜひ、お待ち申し上げております。」
2週に渡り、ありがとうございました!
来週からのゲストは、
スリーピースバンド:Omoinotakeのヴォーカル・キーボード、藤井怜央さんです。
お楽しみに!
M . 愛は勝つ / KAN
(浅野さんが、阪神淡路大震災後に勇気をもらっていた1曲。)