水中カメラマン

阿部秀樹

2024年6月からスタートした音声コンテンツ「Know The Sea」。私たちの宝である海を未来へつなぐため、さまざまなゲストをお招きして、海の魅力、海の可能性、海の問題についてお話を伺い、interfm番組内やPodcastなどを介してお届けしていきます。このコンテンツは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環です。

今回のゲストは、水中カメラマンの阿部秀樹(あべ ひでき)さん。6月21日(金)に放送されたInterfmの番組「RADIO. RADIO. With George Williams」内で、水中から見た日本の海の素晴らしさについてお話を伺いました。

サラリーマン時代に水中カメラに一目惚れし購入!

海の中を潜って、水中の生き物や風景を撮影する「水中カメラマン」。阿部さんは、神奈川県・鎌倉の稲村ヶ崎で生まれ育った影響から、ずっと素潜りをしていたそうで、そこに生き物が多かったとのこと。それが撮影のフィールドを水中にしたひとつのキッカケだとおっしゃっています。そして、サラリーマン時代に水中カメラに一目惚れしたそうで

「大学を卒業して荻窪の方にあった鉄道模型を作る会社に就職したんです。それで、地下鉄の駅を降りて会社に行くまでの間には個人商店のカメラ屋さんがありまして。そこのショーウインドーに水中カメラが『私を買ってね』と言っているかのようにに置いてあったんですよ!」

値段が出ていなかったという水中カメラ。2、3日熟考した後、値段を聞きに行ったところ、最低20万ぐらいだったそう!当時、阿部さんの給料は初任給で6万8000円ほどでしたが、お金を貯めてカメラを購入しましたが、「すぐ撮れるほど甘くはなかった」と振り返ってらっしゃいました。

初めてフィルムを現像した時に感動!

購入した水中カメラで初めてシャッターを切った時のことを伺ってみると、「わっ!買ったんだ!」と感動したそうですが、もっと感動したのが現像からあがった時だと教えて下さいました。

「当時はフィルムの時代で、現像が終わるまで日数がかかっていました。(初めて水中で撮影した後)会社に行く時に現像へと出して、3~4日が経ってから現像があがって、その時の感動がすごかった! もちろん綺麗には撮れていなかったんですけれども、水中の様子もわかる写真も1枚ぐらいは撮れていて、『あ、撮れるんだ!』という。それはそうですよね、20枚も撮ったんだから。『あぁ!撮れるんだ!』と分かった時は本当に感動しました」

日本は「流氷とサンゴ礁」が撮れる奇跡の国!

仕事をしながらアマチュアとして撮影を続けていたところ、少しずつ写真のコンテストで受賞するようになっていき、プロの先生と知り合うことができたそう。そして、40代の時に、勤めていた会社が倒産したことを契機に、プロの先生たちからの後押しも受けて、プロの水中カメラマンとしてやっていくことにしたとおっしゃっています。そんな阿部さんに、よく潜る海を伺ったところ、日本は世界的にとても貴重な海を持っていると教えて下さいました。

「もともとダイビングを始めた頃から国内が好きでした。40年ぐらい前には、北海道の流氷も撮影へと行っています。初めて流氷の海、水の中を潜っていったら、ものすごく冷たいんですよ。マイナス2℃ですから。そして、そこは独特の世界感。ぽかっと氷が浮かんでいて、こう冬の光が優しく流氷を照らしていて。一方で、沖縄県に行けば、きらびやかなサンゴ礁に、黄色や赤の魚が乱舞していて、それはそれで感動的なんですよ!それがやっぱり日本の最大のすごさだと思います。知床では流氷が来ている一方で、同じ日に沖縄ではもう海開きは済んでいて、サンゴ礁があって熱帯魚が乱舞している。それがたった3000kmの範囲に収まってるんですね。そんなサンゴ礁と流氷を持ってる国は、世界でたった2カ国しか実はないんです!日本とアメリカ合衆国だけが両方を持っているんです。アメリカの場合はアラスカとハワイと遠いので、1日で両方に行くのは不可能だと思いますが、日本の場合は朝に流氷を見物して、午後には那覇に到着できるんから。これはちょっと奇跡のような気がします!」

海の中のラブストーリーも発見!

阿部さんは、イカやタコなどの生態やさまざまな生き物の繁殖行動なども撮影し、本として出版されています。そういった撮影をしていると、単に生態では片付けられない情熱的なものも見られて、とても面白いとおっしゃっています。

「“イシヨウジ”という魚は終生同じペアなんです。ただ、面白いのが、普段の生活は別々なんですが、毎朝必ずする挨拶行動っていうのがあって、『決まった場所にお互いが出向いてきて、そこで頭を軽くくっつけておはよう』とやるんです。それはそのペアによって5分の場合もあるし、30分かけるペアもいます。そして、その挨拶行動が終わると、またバラバラになっちゃうんですよ。また次の朝まで。そんなイシヨウジは全て個体識別をした研究がされたのですが、ある時、ペアのオスだけが、台風でぶっ飛んでいなくなってしまいました。すると、そのメスは、台風がきた6月の下旬から8月の中旬までほぼ1シーズンの間、卵をうまず、ほかのオスを受け入れませんでした。そして、ある時、2匹になっているのを発見して、メスが新しいペアをつくったんだなと思っていたんです。ところが、個体識別したら、前に台風でぶっ飛んだオスだった!メスはたぶん待っていたんでしょうね。それはものすごいセンセーションでした」

このイシヨウジだけではなく、時には、ひとつの魚を5年、10年と追いかけていくこともあるそうです。すると、今まで気が付いていなかったと言われている部分にも踏み込めたりして楽しいとのこと。ちなみに、お話してくださったようなラブストーリーは、阿部さんの書籍「愛の流儀」に載っているそうですよ

自ら魚をさばいて食べていたら食の仕事にもつながった

風景に生き物の生態と、幅広く撮影している阿部さんですが、お寿司や魚、卵、かまぼこ、干物についての書籍にも関わるなど、海の食のお仕事にも取り組んでらっしゃいます。そのキッカケは知り合いの漁師だと教えて下さいました。

「うちの父親は釣りが大好きで、地域イチバンの釣り名人と言われていた漁師さんとすごい仲良しだったです。それもあって、僕は1歳の時からその漁船に乗っていて、そして、漁師さんが徹底的に海のことを仕込んでくれたんですね。釣りのやり方、さばき方まで。例えば、鯛を釣ったら、血を抜く。そして、当時は氷の冷蔵庫でしたから、『丸一日寝かせない味が出ないよ』と教えてもらって、さばいてというのをやっていました」

そういった経験と海辺での撮影が多いことから、「海の食べ物をいっぱい食べることができるので、ポツポツ写真を撮っていた」とのこと。その結果、本を出版する機会に恵まれ、昆布、かつお節、煮干しの出汁の本3冊に関わったそうです。その評判が良かったため、次はお寿司などと食のことにも挑戦していったとおっしゃっています。

一生のテーマとして追いかけられる「海と食」

そんな食のお仕事をすることで、

さまざまな気づきがあったとおっしゃっています。 「日本には四季があって、食文化には旬があります。その旬では、地域ごとに『とり過ぎてしまうとおいしいものが食べられなくなってしまうので、この時期の1か月だけはこれを食べよう』とか、『来月になると産卵が終わって不味くなるからやめよう。その代わり、この魚がおいしい』とかがあり、日本は旬の影響で、すごく舌が鋭敏になっていると思います。ですから、日本料理だけが出汁という隠し味でおいしい!例えば、ほかの世界3大料理は全部ソースですが、日本は出汁じゃないですか。不思議ですよね。昆布とカツオ節だけで、なんであんなにおいしいのっていう。そういったことから、全ての海の恵みで完結できるので、これは一生のテーマとして追いかけられるなと思っています」

阿部さんが考えるKnow The Seaとは?

最後に、阿部さんが思う「海を知るために重要なこと」について伺いました。

「日本の海は先ほども触れたように、世界で2カ国しかない流氷からサンゴ礁まで持っている国です。もっと言うと、多彩で東京湾のような奥深い湾には江戸前の魚がいるし、どこにでも素晴らしい海があるんですね。この日本の海の凄さに、海外の撮影チームと仕事をすると、どの撮影チームもビックリします!海外に行く必要ないなと言ってくれます。だから、皆さんには、胸を張って日本の海は素晴らしいんだと思って頂きたい。そうすると海も大事にして頂けるでしょうし。それから友達のように思ってくれれば、大事に扱ってくれれば、後は何もいらないと思います。それだけで海はいい場所でずっとあり続けるはずなので」

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