海光物産株式会社 代表取締役社長
株式会社大傳丸 代表取締役

大野和彦

2024年6月からスタートした音声コンテンツ「Know The Sea」。私たちの宝である海を未来へつなぐため、さまざまなゲストをお招きして、海の魅力、海の可能性、海の問題についてお話を伺い、interfm番組内やPodcastなどを介してお届けしていきます。このコンテンツは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環です。

今回のゲストは、海光物産株式会社・代表取締役社長、株式会社大傳丸・代表取締役の大野和彦(おおのかずひこ)さん。6月20日(木)に放送されたInterfmの番組「side by side」内で、漁業と東京湾についてお話を伺いました。

漁師歴43年!船橋で江戸前の魚をとる

千葉県船橋市で漁業を行う網元の3代目である大野さんは、小さい頃から、威勢のいい漁師がとってきた魚を家の前で広げて荷さばきをする、そんな光景を見て育ってきたそうです。そして、大学を卒業後、漁師をやりたいと思い、父親のもとで働くようになったとのこと。そんな大野さんが行っている漁は「まき網漁業」。どんな漁なのか伺ってみると、

「半分ずつ網を積んだ中型の船2艘を使います。海に出た後は、魚群を追い求めて東京湾中を操業し、魚群があれば、そこに目印のウキを投入。その後、つないでいるロープを切り離し、2艘が半円を描くような形で旋回。1周の円のようにして魚を取り囲んだ後、裾に通してあるワイヤーロープをまいて巾着状にした網を機械で上げて運搬船に取り込むという漁です」

そんなまき網漁でとれる魚は、夏から秋にかけてはスズキ、冬から春はコハダやコノシロとのこと。

船橋の漁師がとった魚を徳川家康もおいしいと絶賛!

続いて、江戸前で漁を行っている大野さんに、江戸時代の東京湾について伺ってみると、

「徳川家康が成田詣へ向かった時に、宿場町である船橋に泊ったそうです。その時に、船橋の漁師がとってきた魚を家康が食べたらしくて、『これは旨い!』と褒めたとのこと。そして、『今後は江戸城に運ぶように』と言った歴史があるようなんですよね。だから、鮮度のいい魚を幕府の人達も食べていたと思いますよ」

ちなみに、古文書にその頃に食べていた魚が書かれているそうで、カレイ、コチ、ボラ、スズキといった元祖江戸前みたいな魚が多かったようだと教えて下さいました。

スズキの水揚げ日本一!それはとれる魚が変わったから

江戸時代には食べられていたボラですが、高度経済成長期、東京湾が汚染された影響などから、東京ではボラを食べなくなったそうです。一方で現代では、とれる魚が変わってきているとおっしゃっています。

「かつて私が船に乗りたての頃は、マイワシが豊漁でした。毎日、築地をはじめとした近隣の市場に10~15トンぐらいの出荷をしていたんです。ところが、アクアラインができた頃からイワシの回遊がなくなってきて。それで今は、残っているスズキをとっています。また、底引き網漁業の人たちもマコガレイをとっていたんですが、全くとれなくなってしまって。それで、今はみんなでスズキをとっています。気がついたらスズキの水揚げが日本一になっちゃっいました」

スズキの水揚げが日本一になったのは誇らしいことではと思いましたが、大野さんはそのことに疑問を呈しています。

「ちょっと待ってよと。この資源がなくなっちゃうと、この先我々は何をとっていったらいいんだろうと。次の世代、未来に残していくためには、いま自分たちの漁業を規制していかなきゃいけない」

海、そして魚などの資源のバトンを次世代に引き継ぐために!

そこで、次世代に残していくために、大野さんは「100年漁業継続プロジェクト」を行っています。一体どんなプロジェクトなのでしょう?

「江戸時代から脈々と東京湾で漁業が行われてきて、我々はそれを後継者として受け継いできました。その中間地点を現在と定めると、次の100年、我々は今度バトンを渡す側になっています。ですので、この素晴らしい海を次の世代、またその次の世代に引き継いでいくために、資源を守り、環境を維持しながら行う漁業をしていこうと取り組んでいるところです」

実はこの取り組みは、大野さんのおじいさんの言葉がルーツとなっていると教えて下さいました。

「おじいさんは『海に泳いでいる魚が、市場で今キログラムあたりいくらなのかを知らない。網を広げておけば魚はとれる』と言っていて、『だから、この商売ってのはいい商売』と言いたかったのかと思ったんですけれども、実はそうじゃなかったんです。『だから、どれだけとればいいのかは、漁師の知恵に任せるしかない。いい漁師っていうのは、いかに少なくとってそれを稼ぎにするかがうまいやつだ』と。考えてみると、当時の資源管理ですよね。明治生まれのおじいさんが将来の漁業についてまで考えていたんだと」

おじいさんの言葉に感銘した結果、「100年漁業継続プロジェクト」という取り組みを実施。さらに、自分たちで思い通りの単価をつけて魚を売りたいとも考え、海光物産という販売のための会社をつくったそうです。

将来の話の最中、孫とのエピソードでつい目尻が下がる一面も

そんな未来を見据えて漁業を行っている大野さんに、将来、東京湾がどんな風に変わっていって欲しいかを伺ってみると、

「漁業、漁師の立場として言わせていただくと、『今日はスズキを1トンとったのでキャパシティがいっぱいだから、他の魚を狙いましょう』というように、もうよりどりみどりで計画性を立てられるのが理想です。自然が相手なので、計画が立たない、経営計画が立たないのが非常にネックなんです。だからこそ、きちっと計画が立てる、見通しがつくような漁業ができる海にしていきたいです」

そういった想いを胸にしている大野さんのところでは、若い漁師も増えているそうで、16人の乗組員がいて、平均年齢は37歳ぐらいとのこと。そんな将来について話していると、「孫がね、『じいじのとった魚おいしい』って。それに『今度、釣り教えてねー』と言うんですよ」と、目尻を下げながらお孫さんとのエピソードもお話して下さいました。

大野さんが考えるKnow The Seaとは?

最後に、大野さんが思う「海を知るために重要なこと」について伺いました。

「いま一番力を入れてるのは、学校給食、食育。食べることによって、魚をおいしいと思ってもらう。すると、家に帰ってお父さんやお母さんに話すと思うんですね。『今日給食で船橋のスズキが出たんだよ。おいしかったよ。実はどこかのシェフがレシピを監修したみたいよ』というように。そうすると、『じゃあ来週の日曜日はみんなで海行ってみよう』となり、そこで潮風を感じたり、磯の匂いを感じたりする。そして、ペットボトルとか落ちてたら拾わなきゃいけない、ごみは海に捨ててたらダメと、海を大事にする大人に育ってくれるはずです。だから、やはりまずは海に足を運んでもらいたい!それで思い思いの海を感じてもらいたい!そう思ってますね」

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