シーカヤッカー
海洋ジャーナリスト

内田正洋

2024年6月からスタートした音声コンテンツ「Know The Sea」。私たちの宝である海を未来へつなぐため、さまざまなゲストをお招きして、海の魅力、海の可能性、海の問題についてお話を伺い、interfm番組内やPodcastなどを介してお届けしていきます。このコンテンツは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環です。

今回のゲストは、シーカヤッカーで海洋ジャーナリストの内田正洋(うちだ まさひろ)さん。6月19日(水)に放送されたInterfmの番組「レコレール」内で、シーカヤックから海と人類の関係性、そして歴史に至るまでお話を伺いました。

シーカヤックは「海を旅するための道具」

内田さんは、1982年から1991年まで、世界一過酷なモータースポーツ競技と言われる「パリ・ダカールラリー」に8回出場。さらに、世界一過酷なデザートレース「バハ1000」にも4回出場されるなど、モータースポーツに挑戦されていた経歴を持ちます。その最中の1987年、日本にシーカヤックを紹介する活動を始めました。そんな日本の第一人者である内田さんが、そもそもシーカヤックとはどんなものなのかを教えて下さいました。

「カヤックというのは、もともと北極地方の船なんですね。それを半世紀ぐらい前から海用のカヤックとしてプラスチックで蘇らせたんです。すなわち、『海を旅するための道具』として蘇ったんですよ。ですので、長距離を移動するために、食料とかキャンプ道具とか1週間分ぐらいは積むことができて、突き詰めていくと1カ月ぐらい連続で航海できるんです」

なぜ人は海へと漕ぎだしたのか探りたい!

内田さんはこれまでシーカヤックで1991年に台湾から九州へ、そして1992年には沖縄県・西表島から東京湾への航海も成功していらっしゃいます。その航海を始めたのはシーカヤックを教えてくれた先生がキッカケだったとおっしゃっています。

「シーカヤックを教えてくれた先生は、カリフォルニアからハワイまで、ひとりでどこも中継せずに60日以上かけて漕いでいたんです。それを知って、先生ができるんだったら俺達もできるかと。そこで、1カ月ぐらいかけて台湾から九州までの航海をし、その翌年は西表島から東京湾まで目指しました。その距離は大体2500kmほどあるんですよ。途中では島々に入りながら、夜は陸に上がってキャンプをして寝るという航海をしたわけです。そして、やってみて初めてシーカヤックはすごい舩だとわかりました」

西表島から東京湾の距離は、北海道からアラスカの距離とほぼ同じだそう。要するに「カヤックで日本からアメリカへは島を伝っていけば行けるということ」とおっしゃる内田さんは、実際に漕ぐことでわかったことがあると教えて下さいました。

「シーカヤックは人間にとって最も古いタイプの船だから、人間がどうやって海と繋がってきたかが漕ぐことで分かってくる!歴史の記録にほぼないので、逆に言うと、漕がないと分からない!それは『人はなぜ海へ漕ぎだしたのか』ということ。だから、その記録にないものをどうやって蘇らせるか。最初に海に出た人達も我々と同じ人間で、考えることは一緒なので。そこを現代では忘れられてしまっているから探りたい。人類学的な興味と言うか、我々のようなカヤックで旅している人達は数多くいますから、そういう人達から人類学的な知見とかが出てくるんじゃないのかという思いで、一生懸命やっているところですね」

旅をすることは何かを得るという行為

シーカヤックでの旅を通して、人類と海とつながりの起源、そして歴史の探究まで行っている内田さんに、旅を通して得たものは何ですかと伺ってみると、

「旅をすることは『何かを得る』という行為なんですよ。旅という言葉は『たぶ』という言葉が由来で、その意味は『賜る』って意味なんです。だから旅自体が何かを得られるという。また、『食べる』も『たぶる』が由来なんですね。だから旅っていうのは、日本人は自然から何かを得るためにやってきたんです。旅をすればするだけ何かを得られる訳です。それは食料とか文化的なものとか、自然が人間と共存するといったヒントみたいなものも得られる訳ですよ。人類の誕生から20万年ほど、アフリカを出てから6万年ほど、そして、日本に来て4万年ほど経ちますが、その中で『賜ったもの』があって、それは結局その人たちが旅をしてきたから得たもの。だから皆さん旅をしましょう!」

海を旅することで体が変化してくる!

西表島から東京湾への航海以降も、「瀬戸内カヤック横断隊」で10年間隊長を務めたり、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア号」の日本への航海など、さまざまな活動をしてきた内田さん。その活動がどんなものだったのかを教えて下さいました。まずは「瀬戸内カヤック横断隊」。

「これはカヤックの勉強会。1週間かけて、瀬戸内海を西から東、または東から西へと島々を転々としました。その時の食料は無補給で、持ってきただけの食事でやり繰りする。この体験をすると、7日間で体の変化とかが分かってくるんですよ。大体3~4日目で体が海に馴染んでいくんですね。最初の3日は辛いんですが、4日目からは辛くなくなる。漕ぐのとかが当たり前なって、体がそういう風になっていくんです」

ちなみに、4日目以降になると、1日平均50kmぐらい漕がなくてはいけないそうです。

続いて、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア号」の日本への航海については、内田さんと同じような考えを持った人達だったというエピソードをお話して下さいました。

「この人達は、俺がシーカヤックを始めるよりも前から、『ハワイにどうやって人が来たのか』という検証を始めていた。人類はハワイに1500年ぐらい前に来ていますが、その頃はコンパスもない。だから、星とか波の方向とか鳥とか、自然のあらゆるものを観察しながら来てるんですよ。辿り着ける技術があったってことです。そういった検証をしていた人達が、日本に来たいという話になって、15年ぐらい前に横浜まで来たんですよ」

日本は海に出てきた人達がつくった国

海に出ることの面白さや大切さを訴える内田さんには、今の日本に伝えたいことがあるとおっしゃっています。

「いま一番問題なのは、今の日本はほとんどの人が海に出てない。島に生まれて島で暮らしてる実感をみんな持ってない。日本は実は海に出てきた人達でつくった国なんですよ!日本の文化っていうのはほとんど海から来てる文化で、それはほかの世界の国々にはない文化なんです!ずっと島に暮らしてる人たちの系譜が続いてるから、他にはないものがいっぱいあるわけです。それなのに、現代人はそれを忘れてしまっている。やっぱり海に出る魅力は本当に海に出ないと分からない。だから、自分の力で漕ぎ出た方が良い」

実際に、海に出る人口で最も多いのは、パドリングの人たちだそう。東京でも運河を漕いでる人が数多くいるように、サーフィンやダイビングといった人口よりも多く、100万人以上もいるのだとか。

海を知り、学び、研究すれば全く違う地球が見えてくるかもしれない

小さい頃からシーカヤックで遊んでいた娘の沙希さんも、今ではホクレアのクルーで、お孫さんも生まれた時から経験してるという内田さんに、最後に次世代へ向けてメッセージを頂きました。

「まだ人類は海を何も知らないです。今後、海をどう研究するか、どう学んでいくかということで、全く違う地球が見えてくるかもしれません。また、海に出ると、自然に学びがあり、新しい自分の価値観へと変わってしまう。体験がない限り、机上では分からないので、海へと漕ぎ出すべきだと思います」

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